創立者挨拶
音楽は大衆のための喜び
大衆のため。
大衆が喜ぶため。
大衆が感激するための音楽。
音楽は大衆の喜び。
音楽学校も一部の人のためではない。
現実には音楽学校は一部の人のためになっている。
音楽学校を創りましたが、
国立音楽院は大衆のための音楽。
だから演歌もある。
国立音楽院は革命。
国立音楽院では、「精神の完全自由」のもと、自らが求める目標に対しプロ意識に徹する自己を育て活かし能力を深める、学院生一人ひとりの個性や感性を尊重しています。
それは学院生各自が自分にとって好きで楽しくやりたいもの、なりたいものを学び悦び、自信や愛情を深めながら自分のものにし社会で活かす人生は幸せだからです。つまり一人ひとり、人生からの問いに応えながら、自己の才能(資質)を知り、主体的に活かし自己実現できる自分でありたい。自分にとって好きでやりたいものこそ、実は天命として与えられた自分だけの最も貴重な「天性」であると言ってよい。自分の未来は自分のものであり、未来(運命)を信じ認め、素直に受け容れる自分でありたい。長い人生の過程に在って、自分の考えや意志通りに順風満帆、追い風に乗るが如く事が旨く運ぶことは有り得ません。生きている限り、誰でもその心(精神)は未来に向かい紆余曲折のなか試行錯誤したり、毀誉褒貶、吉凶禍福、もろもろな体験をします。人生はまさに自らの精神を創り上げていく芸術と言ってよい。人生は短し、されど芸術は長し。
そのときその場面に於いていわゆる一種のスランプ状態(迷い)の領域に入っても、実はそれら試練や見識の全てが、精神過程に於ける自己形成のための貴重なる精神の資産であり、次の発達段階への膨大な心的糧の蓄積となって活かされることは間違いありません。
「人生は苦悩の先に歓喜あり」ベートーヴェンの名言。もともと、好きでやってみたい目標であっても、その経験過程に於いて自分自身が知見する新鮮な喜びや達成感や満足感、また苦痛や苦悩など、もろもろな感情の織り成す連続であることも至極当り前のことです。遥か遠く空しい夢や実現性に乏しい空想や幻想を描くのではなく、自分が今やってみたい、成ってみたいこと、せいぜい2年ないし3年ぐらい先の自己像を描くと、その実現や可能性の確率は極めて高い現実となり自分のものになり易いのです。そして、やや進化した時点に於いて、次なる成長し拡大した軌跡のもと未来の目標を考え設定すればよいのです。
「自分のなかの神仏の力が我を動かしている。されば我を過ぎさんとする者は一切の望みを捨てよ」ダンテの箴言です。
また人は、自ら求め本当に好きでやりたいものであれば労を惜しまず刻苦勉励努力しつつ、次なる自己の才能、知力や能力、知性や個性など自ら活かし自分らしい活気溢れる息吹を感じながら生き生きと納得した表情の輝きを現します。自我を忘れるが如き、精神エネルギーを集中させる深く力強い達成感を知覚しつつ精進し自己実現するものです。私は、本音楽院卒業生の殆どが、そのような気持ちを抱き立派に活躍している姿や情報を数多く聞き知るとき、大変嬉しく満足しております。「求道すでに道である」宮澤賢治の言葉です。
人のキャリアや価値はその人のものであり、自ら創めるものであるとは真実でしょう。人それぞれ自分にとって好きでやりたい目標への道しるべを踏み出し歩んでゆくがよい。本音楽院では、学院生各自が自分らしい自己を育て活かし、しなやかでユニークな個性や能力を創りだす心的条件や環境の魅力、つまり「精神の完全自由」の考えのもと、時代や社会が要求する音楽知識とその技能を深め、プロ意識に徹する自己を養成しております。人生とは、自らの精神を創り上げる芸術である。まさにその通りです。
自らを愛しつつ生みだす創造の全てが社会の喜びであり祝福でもあります。
国立音楽院との一期一会とその邂逅による自我を活かしつつ自己形成し、自分らしき音楽芸術を実現されることを願い期待します。
自ら好んでことをなし、なされた結果をよろこぶ者は幸いだ
-ゲーテ
「自由・創造・自立」 国立音楽院のテーゼです。
国立音楽院 創立者 新納 重臣